「書く気」になってるこの勢いで!・・・いまのうちに
僕が中学生の頃、学校の窓から外を眺めていて豊見城の嘉数にニョキニョキとQABの電波送信塔が建っていくのがいまでも記憶にあります。 ← やーは学校でなにしてやば?ってのはナシで
QABがテレ朝系列で放送開始当時、Mステやドラえもん、クレヨンしんちゃん、日曜洋画劇場(淀川さん健在)・・・なんといってもX-FILEなどなど毎日ワクワクで帰宅部バンザイとテレビっ子気質全開のボクはとってもオウチに帰るのが楽しかったです。
沖縄って県外に出てからすごく感じるんですが「情報」が少ないですよね。
いまでこそ多少は変ったのかもしれませんが、沖縄に帰る度にテレビチャンネルの少なさで「沖縄に帰ってきてるんだ」とそこで自覚する一つの理由です。
最近のあるメディアで高齢者や低所得者がインターネットなどを利用率が低いという調査結果を見ました。
利用しないといっても、●利用したくてもできていない、●もともと利用する気がない、と一つの答えから裏側にある現実を考えないといけないと常々思っていますが、この調査結果を掲載していたメディア曰く「高齢者と低所得者が経済的余裕がないためインターネットをりようしていない」という論調を強く書いていました。
確かに、経済格差=情報格差というのがあるのかもしれません。それがすべてではなくてもその一端は絶対にあると思います。
高校の時、友達の家に遊びに行くとケーブルテレビに入っていてMTVや本土のテレビ番組を見ていたことに抱いた「羨ましい」という感情をいまでも覚えています。
これって、それ(ケーブルテレビ)を必要としていなかったウチと必要としていた友達の家の判断の違いですが、ただケーブルテレビはタダじゃないですよね。
ウチがヒンスーだったら絶対に見られないわけで、これって情報格差=経済格差だといえる端的な例だと思います。
情報は必要とする人には平等にそれを得る機会があるべきだと思う。
でも現代は情報=お金でもあるわけで、情報も平等にというのは社会主義的考え方ですかね。
それを補うべく公共放送(国営放送)があるのかもしれませんが、どっちよりかを考えると、情報には良くも悪くも多くのソースがある方がいいわけで。。
でも情報を得るための方法やその過程も大切で、ただ情報がそこにあるだけでもダメかと。。
判断するのは「自分」。
ただ判断する「自分」は、きちんと価値観や考え方を醸成させて行かなくてはいけない。。なぁと思います。
なんだか得意の「深み」にはまりそうなので一度、脱出
ボクの今いる神戸は、NHK総合、NHK教育、サンテレビ(地元神戸の放送局)、毎日放送(TBS系)、朝日放送(テレ朝系)、テレビ大阪(テレ東系)、関西テレビ(フジ系)、読売テレビ(日テレ系)と8つのチャンネルが見られます。沖縄は5つですよね。
この1.6倍という情報(選択肢)の差は大きくないですか?
仕事始めてからは、テレビ大阪(テレ東系)の毎日23時から放送しているWBSという経済に特化したニュース番組はめちゃめちゃ見るようになったし、各メディアの論調に主義主張を見て取れて比較し客観的にいろいろな角度から「情報」を得ることが出来ることでより自分が「判断」する尺度が広がったし柔軟になったと思います。
スカパーとかCS放送が沖縄でも視聴できるのでそれに加入すれば本土と同じくらいの情報は得られるんだと思います。でも・・・片一方ではほぼタダ、片一方ではお金がいるってのは。。
沖縄では今年やっと日経新聞がタイムラグなく読めるようになったと聞きました。
「やっと」です。
それがニュースになります。
これって。。
「本土並み」ってよく沖縄で聞きますが、「並み」ってなんなんでしょうか。